三十八歳の三月

 三十八歳の三月、

フィガロにて。会計で名刺を出す。
「少しばかり貰ふ金があると思ふんですが……」
会計係は、どえらい帳面をひろげる。
「はあ、さやうです。一行五十セントの割ですから、合計三十五フラン五十セントになります」
私は社長に手紙を書いて、こんな稿料では餓ゑ死をしてしまふ。餓ゑ死をするくらゐなら、仕事をしない方がましだといつてやる。 繼續閱讀

三十一歳の三月

 三十一歳の三月

――皮膚に皺のない一人の日本人が私にいつた。「初めはヨオロツパ人はどれもこれも同じやうに見えました。一人々々を区別するのに、かなり暇がかかりました」
そこで、私は「しかし、われわれはブロンドか、さもなければ褐色か、或は赤毛です。君たちは、みんな黄色い顔で、黒い髪をしてゐるぢやありませんか」 繼續閱讀

浮気調査の探偵がもってきた証拠に驚愕

私の旦那が怪しい行動をするようになってきたのはいまから半年くらいまえのことでした。
何がおかしかったのかというと、携帯電話をトイレやお風呂にまで持っていくようになったのです。
いままではそんなことはなく、トイレやお風呂のときなどにも携帯電話をおきっぱなしにする人だったのです。 繼續閱讀

あたし、ほんとに幸福か知ら……

由美子  あたし、ほんとに幸福か知ら……。
奈緒子  幸福になれるといふことが幸福なら、あなたは幸福だわ。しかし、これからが問題よ。
由美子  さうね。あの人、あたしのこと、何か云つてた?
奈緒子  えゝ、云つてらしつたわ。でも、相手の云ふことだけを聞いて、悦んだり悲んだりしてゐちや駄目よ。あの方も、あなたが何か云つてたかつてお訊きになるかも知れないけれど……あたし、さういふ時、なんて云つたらいゝの? あたしに、さういふ役目はつとまりさうもないわ。だから、云つていゝことだけ、ちやんと云つといて頂戴。 繼續閱讀

さうしたら、あなた、

奈緒子  さうしたら、あなた、あたしを恨むでせうね。
由美子  恨むわ。でも、あなたを冤してあげたい気もするわ。あなたを恨みながら、あなたの罪をかぶつてもいゝと思ふわ。
奈緒子  感謝するわ。あなたは優しい方ね。
由美子  でも、あなただつて、おんなじでせう。あたしが、若し、あの方と結婚できなくつて、死んでしまつたら、あなた、どうなさる。 繼續閱讀

ほら、いつかあんたに

ほら、いつかあんたに話したこともあるでせう。自分で志願して、以前、あたしの伴奏をずつとしてゐた男のことさ。金谷秀太つていふの。それが死んだものとばかり思つてたら、まだ生きてたんですつて。この間あたしのリサイタルで、たしかに見かけたつていふひとがゐるの。 繼續閱讀

可哀さうね

美代  兄さん。
鉄蔵  …………。
美代  兄さんつたら……。
鉄蔵  …………。
美代  可哀さうね。こら、兄さん、起きるのよ。
鉄蔵  (飛び起きたらしい)
美代  あら、そんなに吃驚りしないだつていゝわ。
鉄蔵  畜生……。
美代  お父つあんが起して来いつて云ふんだもの。
鉄蔵  おやぢ、なにしてるんだ。
美代  眼覚しを直してるわ。
加代  (上つて来て)鉄ちやん、眠いでせう。 繼續閱讀

さて、かういふやうに

さて、かういふやうに、「嗜み」といふことは、心と形、肚と技、言ひ換へれば、精神と外貌、或は技術を、常に一体として考へるところに、日本的な人間錬成の真面目が示されてゐると思ひます。
そればかりでなく、「嗜み」の最も重要な本質は、道徳と知識と情操とが、まつたく不可分の関係で織り込まれ、知情意の最も調和したかたちを、その標準として教へ、 繼續閱讀

従つて道徳は批判に終り

従つて道徳は批判に終り、知識は答弁のために用意せられ、実は才能の所産としてしか考へられなかつたのです。そこからは心理の分裂が生じました。観念と生活との遊離が著しい現象となりました。そして、それを誰もが不思議と思はなかつたのです。 繼續閱讀

お医者さんの仕事に例をとつてみる

お医者さんの仕事に例をとつてみる。ある地方で開業してゐるお医者さんで非常に腕もあり信用もあつて、普通ならどう見ても立派なお医者さんで通る人である。しかし、そのお医者さんは、自分のところへ来る患者の脈をとり、薬を与へ、専心その治療に当つてゐるといふだけで満足し、 繼續閱讀

巴里の図書館へ

巴里の図書館へ日本の一留学生が訪ねて来て、研究のためだから筆写本の写真を撮らせて貰ひたいと申込んだ。すると図書館の係りの者が、「日本ではいつた いこの筆写本の写真が何枚いるのだ」と尋ねたさうである。これで、その写真を撮つて行つた日本の先生が既に何人かゐたことがわかつたわけであるが、 繼續閱讀

それならば、問題はどこにあるかといふと

それならば、問題はどこにあるかといふと、先づわれわれは今日まで、人間として、また、一国民として、なし得ることをすべてなし得たかといふ反省をしてみることである。  われわれは、実に同胞に対して冷淡であつた。われわれは、自分の生活といふものを恐ろしく粗末にしてゐた。 繼續閱讀